| ||||
| ◆雲門文偃禅師の教え |
達磨さんによってインドから中国へと伝えられた仏法は、唐から宋の時代にかけて、五家と呼ばれる五つの特色ある教えとなって大きく花が開きました。五家とは我が曹洞宗や、臨済宗、日本には伝えられなかった為仰宗、法眼宗、雲門宗の5つの門流の事です。道元禅師が『五家はことなれども、ただ一佛心印なり』[正法眼蔵、辧道話]と述べられているように、五家の違いは、指導者の弟子に対する教え導き方の違いであって宗旨の相違ではありません。今回はその五家の一つである雲門宗の基になった雲門文偃禅師の教えについてお話しさせて頂きます。 雲門禅師は弟子を指導するのに、簡潔な一字をもって、仏法の真実を言い表わす事が多かったので、当時の人々は雲門宗の特色を『雲門の一字関』と呼ぶようになりました。葬儀の導師が、引導の時に拂子を振って大きな声で『ロッー(露)』とか『カァーッ(喝)』と言ったりするのを皆さんも聞いた事があるかと思います。あれが『雲門の一字関』と言われるものです。どうしても言葉で表現する事の出来ない仏法の真理を『露』(ろー)とか『喝』(かつ)『咄』(とつ)『忸』(いい)『繁』(かー)等の一字でもって提示しようとしたものです。ですから導師が引導で大きな声で『露』とか『喝』と言うのは、べつに故人に気合を入れている訳ではないのです。そもそも葬儀の引導は、導師が故人に対し問い掛けをし、故人がそれに答えるという問答の形式になっているのです。 |
| ◆日々是好日 |
その雲門禅師が毎月15日に行われる半月小参のご説法で、本堂に集められた大勢のお弟子さん達を前に、次のようなお話しをされました。『今までの事はもう過ぎ去って仕舞った事だから、お前達には聞かないが、今から後の事を一つ言ってみろ!(十五日已前は、汝に問はず、十五日已後、一句を道ひ将ち来たれ)』とつまり去年の事はもう聞かないから、今年の抱負を一つ言ってみなさいとでも言う事なのでしょうか。しかしその質問に答えられる弟子が誰もいないので、雲門禅師が自ら代わって『日々是好日』とお答えになりました。これは一字関ではありませんが、短く『日々是好日』と言っただけでした。日々だから今日一日だけではなく一年365日、来る日も来る日も好い日だというのです。 確かに一年のうち一日ぐらいは、幸せだなぁ!と思える日があるかもしれません。しかしお天気も晴れの日ばかりではなく、雨や雪の日、そして赤城おろしの強く吹く寒い日があるように、我々の一生の間には悔しくて、ひとり涙を流す日もあれば、老いや病いで入院しなければならない事、愛する人と別れなければならない悲しい日等、幸せな日々だけでは決してありません。それでも雲門禅師は『日々是好日』毎日が好い日だと言うのです。いったい雲門禅師は我々に何を教えようとしたのでしょうか? |
| ◆晴れてよし、曇りてもよし、富士の山 |
我々は逆境等に立たされると、過ぎ去った日々を懐かしみ、中々素直に現実を受け入れる事が出来ません。或いは逆に過去の失敗を何時までも引きずり、今ここでしなければならない事を怠って仕舞います。勿論過去に学び、今に活かして行く事はとても重要な事ですが、何時までも過去に執着し、今を疎かにする訳にはまいりません。何故なら我々は今・ここを起点とした時空に生きるしかないからです。そこで考えてみても仕方がない事を雲門禅師は『十五日已前は、汝に問はず』と言われるのでした。過去の事、毎日の『空もよう』等、この世には、我々にどうする事も出来ない事がいっぱいあります。 勿論我々の『心もよう』も同じで、雨の日は憂鬱で、晴れの日は心まで晴れやかになります。そして人にバカにされヽば頭に血が上り、病の時は辛く、愛する人と別れる時は悲しくもなります。これを我が恩師は『2×2=4(ニニガシ)等の数学の公式と同じ様に、これは決まり事で、我々がどんなに修行しても、この感情を押さえ込んだり、変えたりする事が出来ないんだ』と良く教えられました。そのどうにもならない事に何時までもこだわり続ける事は、あたかも池に投げ込まれた小石の波紋を鎮めようと、再び小石を投げ入れ、波紋を益々拡大増幅し、二重に三重に苦しんで仕舞うようにも思えるのです。 お正月になると、良く床の間に、縁起物の富士山の掛軸を見掛けます。夕陽に赤く染まった赤富士や、日の出の富士や頂上に雲や、白い雪を戴いた富士等色々ありますが、どの富士山も見る人の心を強く引きつけます。富士山の麓で働く農夫に、あるテレビ局のリポーターが『あなたは春夏秋冬のどの富士山が好きですか?』と訪ねました。するとその農夫は『春は春の、夏は夏の、秋は秋の、冬は冬、四季それぞれの富士山が好きだ』と答えたのでした。何だか我々にもわかるような気が致しますね。 幕末から明治期に活躍した剣術家の山岡鐵舟居士は 『晴れてよし、曇りてもよし、富士の山、元の姿は、変わらざりけり』と詠み、同じ様に雲門禅師は『日々是好日』と言われるのでした。 春夏秋冬それぞれに変化して行く富士山の風景を慈しみながら暮らす農夫のように、喜怒哀楽と変化して止まない我が『心もよう』を一幅の心象の風景として眺め、あまりそれに振り回されないように、私もこの一年を過ごしたいと思います。 |
| |||||
|
| |このページの最初へ|仏教は生き方の宗教メニューへ|ぼさつ道目次 |