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◆泥沼(どろぬま)に咲く花 |
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平成4年11月、恩師である酒井得元老師に随って、お釈迦さまの故郷であるインド
を尋ねた事がありました。その時、インドに何度も来ているという日本の添乗員から『インドの川には、ほとんどの場合、堤防がないんです』と聞かされ、びっくりした事がありました。 |
◆他は是れ吾にあわず |
若き道元禅師が、真実の道を求め、当時の宋の国(今の中国)の天童山(てんどうざん)という寺で修行していた時の事です。禅門では料理を作る係りを、典座(テンゾ)と言います。道元禅師は、そこで、ある年老いた典座和尚さんとの出会いにより、目の覚(さ)めるような、大きな気付きがありました。 |
◆誰(だれ)も代(か)わる事の出来ぬこの人生 |
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誰でも大なり小なりの荷物を背負ってこの人生を歩いています。その荷物は仕事の問題であったり、或いは人生の問題、生き方の問題、夫婦の問題、近所付き合いの問題、子育てや進学の問題、健康や老後の問題等であったりします。時には一つだけではなく、二つ、三つと複合的に荷物を抱え込んで仕舞う事もあります。漂白行乞(ひょうはくぎょうこつ)の俳人、種田山頭火(たねださんとうか)に |
◆NHK特集『雪の永平寺』 |
その後中国より帰られた道元禅師は、さっそく料理を作る『典座』の重要さを説かれた『典座教訓』という書物を残されています。その冒頭に『料理を作る典座には真実の道を生きようと、長〜い間修行した高徳の人が、昔から勤めて来た大切な職務である』と述べています。ですから、今でも永平寺では、典座に配属される事は、とても名誉な事であり、誰でもが一度は典座を勤めたいと願うのでした。私も永平寺に登って2年目の昭和52年の冬、やっと願いが叶って典座の係りに配属となりました。 |
◆世間(せけん)のものさし仏のものさし |
人生には色々な配役があります。テレビのドラマであれば、スポットライトを浴びる主役だったり、主役を影で支える脇役だったり、つまらないただの通行人だったりします。そして私も勿論そうですが、誰でもがこの人生で、スポットライトを浴びる主役になりたいと思う訳です。ところが極楽浄土の阿耨達池(あのくだっち)という池に咲く蓮を描写した経典には『黄色黄光(おうしきおうこう)、赤色赤光(しゃくしきしゃっこう)、白色白光(びゃくしきびゃっこう)』と書いてあるんです。それは黄色の蓮の花からは、黄色の光を放ち、赤色の蓮の花からは、赤色の光を放ち、白色の蓮の花からは、白色の光を放ち、そしてその他無量種の色の蓮の花からは、無量種の色を放って、それぞれ光り輝いているというのです。 |
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