
昭和56年、本山を送行し、師寮寺に帰って間もなくの頃、武井哲応老師の資(弟子)全補師に誘われるまゝに、老師の住職地である高福寺の参禅会に初めて出席した。本山に於いて、今を代表する老師方の提唱を、身には付かぬまでも、私は聞いて来たのだ、という自負の念もあり、不遜な言い方ですが、老師に対してあまり期待もしていなかったのが、その時の偽らざる思いでした。
夜坐の止静が鳴り、シーンと静まりかえった堂内に、かすれた、でもしっかりした声で『公案現成、羅籠いまだ到らず』という普勧坐禅儀の一文を引かれ、提唱をはじめられました『我々は、自分自身で作り出した鳥籠や魚を入れる羅(あみ)に縛られてしまい、本来の自由自在な自己を見失ってしまっている。しかし我々が今、行じている坐禅は、そして我々の自己存在そのものは、そんな人間的な価値観、概念など全く寄せ付けぬものであり、又それによって邪魔されるようなものでもない・・・』と、 |