
前回お話し致しました曹洞宗の『曹』の字の語源にもなった、曹谿慧能禅師という指導者から二人の立派な禅者が育ちました。一人は曹洞宗の流れになる青原行思禅師、もう一人は臨済宗の流れにつながる南嶽懐譲禅師という方であります。今回はその南嶽懐譲禅師の教えについてお話しをさせて頂きます。
懐譲さまが、はじめて曹谿慧能禅師の所にやって来た時の事でした。その慧能禅師から
『甚麼物恁麼来(なにものかいんもにきたる)』
と尋ねられたのでした。恁麼(インモ)とは中国人の俗語(日常語)で、なんとも名付けられないもの、日本語の『なに物』という程の意味です。つまり『お前さんはいったいなに物だ?』と質問されたのでした。それに対しで懐譲さまが色々とお答えするのですが、慧能禅師は全くお許しになりませんでした。
現代風に言えば『私は長昌寺の住職です』等という肩書を尋ねられた訳でもありません。『私は○○大学を優秀な成績で卒業しました』等という経歴を尋ねられた訳でもなく、又『私は一級○○士の資格を持っています。』等、生まれてから身につけた表面的な事について尋ねられた訳ではないんです。況(いわ)んや、その時の気分や感情を尋ねられた訳でもありません。
何故ならそこは『我々が何処から生まれて来て、死んで何処へ行くのか?』という真実の教えを求めて人々が集まる修行道場なのですから、もっと根源的な『イノチそのものについて』尋ねられたのです。
それからというもの、懐譲さまは『お前さんはなに物だ?』という慧能禅師の質問を心に温めながらご修行され、ついに八年の後、真実の道に気付かれたのでした。そして慧能禅師に、八年前と同じく『お前さんはなに物だ?』と尋ねられた懐譲さまは
『説似一物即不中(せっじいちもつそくふちゅう)』
と答えられたのでした。
これは『表面的な言葉や名前等によって、真実そのものを表現する事も出来ないし、又幾らそのものを分析や、分解しても、そこから真実は生まれて来ない』という意味なんです。その答えが許された懐譲さまは晴れて慧能禅師のお弟子として、仏法の正しい相続者となったのでした。 |